名古屋発! 町の神さま考

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【FATBIKE古社巡礼!

【FATBIKE古社巡礼!】駿河國益頭郡・伊可麻端辧

静岡市内に入り行きたかった登呂遺跡へは雨で断念。安倍川を渡り駅を目指す途中の伊可麻端劼聾機后現位置の南側に鎮座と後で知る。とすればいまより登呂遺跡に一層近づく。鳥居をくぐると右手には四方八方に枝を伸ばすクスノキ。登呂遺跡に行けばよかった、と後のまつり。

【FATBIKE古社巡礼!】尾張國中嶋郡・坂手神社。

遠くに横たわる養老山脈、近くに目を転ずれば水を入れたばかりの田んぼの水面に映り込む貴船神社の森。鳥居をくぐると参道にはサクラが並び、拝殿手前には保存樹指定されたクスノキがそびえ立つ。稲沢市坂田の貴船神社が論社と考えられたのは坂手を「サカタ」と読んだから...

【FATBIKE古社巡礼!】大和國添下郡・菅田比賣神社二座。

社名の「二座」のうち比賣のほかは比古、つまり男神を匂わせる。しかし境内に掲示された由緒を読むと祭神は「伊豆能賣神」。男神消えてなお主神の女神までも、付会の不可解。境内の森は木々に覆われ日を遮る。夏に来れば涼しそう。神社東側の三叉路中央部分に地蔵堂。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國出雲郡・御碕神社。

名古屋を始めとする愛知県尾張地方や岐阜県美濃・飛騨地方で見られる屋根神さま。
地域によって祭神が少しずつ異なるものの、名古屋では熱田神宮・津島神社・秋葉神社の組み合わせが多く、岐阜県内では津島神社と秋葉神社の二神のみ、もしくは秋葉神社を単体でまつるケースが見られる。

出雲とは関係なさそうな屋根神さまの話をしたのは、祭神のひとつに津島神社がまつられいるからである。
津島神社の祭神といえば素戔嗚尊。
古事記や日本書記にも登場するメジャーな神さまである。
この地方で素戔嗚尊は「お天王さま」と呼ばれ厄除けの神として定着しているが、出雲を旅するうちに御子神の五十猛命とともに朝鮮半島から来た神であることを知った。

「延喜式」で御崎神社とされる日御崎神社。
神社は島根半島のほぼ西端に近い場所にある。
FATBIKEで走るにはきつそうなイメージだった。
出雲大社を出て日御崎神社までは海沿いの道を走る。
しかし実際に走ってみると確かに登り坂もあったが下車してFATBIKEを押して歩くことはなく、むしろ海沿いの道を気持ちよくペダルを漕ぐことができた。
神社に向かう途中の釣り宿は駐車場が満車の状態。
海に目を向けると磯に立って釣りを楽しむひとの姿が多く見られた。

神社に到着し、入り口の鳥居をくぐり正面の日沈宮まで130歩、まずは参拝。
天照大神をまつる日沈宮で手を合わせ、すぐ上に鎮座する上ノ宮に向かう。
上ノ宮の祭神は素戔嗚尊だから姉弟の神をまつっていることになる。
境内には諸神がまつられているが、僕がぜひお参りしたい神社があった。
韓国神社である。
小さな神社だが、この神社の存在を金達寿氏の「日本のなかの朝鮮文化」と岡谷公二氏の「伊勢と出雲」で知った。
岡谷氏の本では金氏の本の内容を引きながら写真を掲載している。
社は日沈宮の奥に簡単に見つけることができた。
森を背に石台の上に立つ小さな社は、岡谷氏の本によれば在日のひとたちが資金を出してまつったものだそうだ。

祭神は素戔嗚尊と五十猛命。
小さい神社ながら、海を向く日御崎神社の境内にあり、鳥居の先が神の故国である朝鮮半島を向いている。
神社がある出雲郡は「出雲国風土記」で八束水臣津野命が「志羅紀の三埼を国の余り有りやと見れば、国の余り有り」として引っ張ってきた場所であり、その「三埼」が御崎神社ではという考えもあるようだ。
上ノ宮と韓国神社の祭神が両社とも素戔嗚尊なのも偶然ではないのかもしれない。

参拝を終えてウミネコの繁殖地でもある経島の鳥居に一礼して日御崎灯台を目指した。
1903年に完成した灯台の高さは43.65mで日本一。
でも僕が驚いたのは灯台の駐車場で名古屋ナンバーの車を見たときだ。
運転席には老夫婦の姿があったので、名古屋から出雲まで運転してきたのだろう。

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國秋鹿郡・許曽志神社。

190517許曽志神社1

許曽志神社の境内に入り不思議に感じるのは狛犬の代わりに鶏や猿の置物があることだ。
猿については当社の祭神が猿田彦命であることが理由と思われるけど、鶏についてはどうしてだろう。
もしかして社名に関係があるのかなとも思ったりする。

式内社には当社の社名のように「許曽」や「小曽」など「コソ」とつく神社がいくつかある
「日本のなかの朝鮮文化」で著者の金達寿氏は「コソ」が神社を指す言葉であり(実際パソコンでコソを変換すると「社」が出る)、その語源について新羅の王である「赫居世」から来ているのでは、と書いている。
赫(ヒョク)が名前で居世(コセ)が治世を指すという。
新羅には始祖伝承にも鶏が登場し、さらに王宮は鶏林にあることから鶏を神聖視していた。
日本でも越前・敦賀半島先端に鎮座する白城神社のある白木集落では鶏を食べないという風習が近年まで残っていたそうだ。

また扁額に「白鬚神社」とあるのは祭神の猿田彦命に通じるからと思われるが、白鬚神社も新羅と関係がある神社。
敦賀と同じく越前・今庄には新羅神社を上宮、白鬚神社を下宮と呼ぶことが岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」で触れられている。
僕も実際に現地を訪れ地元のひとから「朝鮮から来た神さまですよ」と教えられた。

だからといって新羅の王の名と「コソ」、白鬚神社と鶏の置物が即、結びつくのかは僕にはよく分からない。
ただ、位置的に越前よりも新羅に近い出雲にそういった伝承が残っていたとしても不思議ではないし、むしろロマンを感じる。

神社は宍道湖北側の山の中腹に鎮座している。
鳥居をくぐり拝殿まで180歩、まずは参拝。
「式内社調査報告」によると、江戸時代の中ごろまでは現在よりも南方200mの平坦地にあったが、貞享元年(1684)四月に現在地に遷座したという。
もとはいまよりももっと宍道湖に近かったというわけだ。

ちなみに神社の近くには丹花庵古墳や「古墳の丘古曽志公園」があって、公園には実物大に復元された古曽志大谷一号墳がある。
墳面が葺き石に覆われ埴輪が囲う前方後方墳だ。

そういえば「コソ」つながりで伊勢国の大乃己所神社周辺には遺跡があることを思い出した。
「コソ」とつく土地には人々が集う場所があった。
それは共通の祖神である氏神をまつった場所、つまり神社だったとはちと強引な推測かもしれない。
でも古くからひとが暮らしていた土地という共通点があることは確かだ。

それにしても、出雲国の古社巡礼で神社とともに古墳を訪ねることを無上の楽しみとしながら、なぜ古墳公園に行かなかったのだろう。
松江「プチ移住」で後悔したことはそれほど多くはないけど、なぜ神社の帰りに古墳公園に寄らなかったのか…
いまとなってはかなり後悔している。

190517許曽志神社3

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國秋鹿郡・惠曇神社。

190509恵曇神社恵曇町1

惠曇神社には論社がある。
つまりもう一ヶ所、同じく惠曇神社が存在するのだ。
境内に本殿とは別に「座王さん」という磐座がある神社に感動したばかりなのにもう一社あるとは。

最初の惠曇神社を出て佐陀川沿いを西に向かうと漁港に出た。
惠曇港である。

青空とともに青い海が目の前に広がる。
ここに来た記念、やはり写真でしょう。.
そう思ってFATBIKEをブロックに立てかけようとするが強い風がビュービュー吹いている。
立てかけても風ですぐに倒されてしまう。
何度か挑戦してみても同じ結果なのであきらめて神社に向かうことにした。

二番目の惠曇神社は漁港近くに鎮座する。
鳥居前にFATBIKEを立てかけて写真を撮っていると、気のせいかもしれないが近くに止まった車がアイドリングしたまま止まっているのが気になった。
車内にひとの姿があったどうかまでは見えなかったけど、監視されているようで気持ち悪かった。

平日の日中にタイヤの太い自転車に乗っている中年の男は自分で考えても怪しいと思う。
じつは、仕事を休職して「プチ移住」で松江に来てるんです、という事情は表面的には絶対に伝わっていない。
監視者側からすれば何の情報もないからとりあえず監視するというしかないのだろう。

取り越し苦労かもしれないがそう感じたのは、惠曇神社がある場所から山塊を越えれば島根原発があるからだ。
数年前、福井県おおい町に森の神さまをまつる「ニソの杜」を見に行ったことがあった。
大島半島内の「ニソの杜」の所在地を確認しながら写真を撮っていた。
ある森で写真を撮ろうとしたら突然車が目の前に停車し、なかから警備会社の制服に身を包んだ男たちが出てきた。
原発近くで怪しい動きをする男(僕ですが)と思われたらしい。
ニソの杜という森神がありそれを見るために訪ねてきた旨を話すと警備氏たちは納得して離れた、という経緯がある。
それが記憶に残っているので今回ももしや、と思ったのだ。

入口の鳥居をくぐり拝殿まで七十歩、まずは参拝。
本殿の彫刻はとても立派で、見たところ竜、鳳凰、鶴などが生き生きとした姿で彫られている。
「式内者調査報告」によると前述の惠曇神社とは正統性を巡って論争があったという。
確かに海には近いし山を背景にした境内に古社然とした雰囲気を感じないでもない。

でもスッキリし過ぎている、これはひとりの旅人としての意見。
やはり「座王さん」に驚かされたようなサプライズ感には乏しいかな...

写真は島根県松江市。

190509恵曇神社恵曇町3

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・熊野神社。

190729熊野神社5

古社巡礼するにあたり心がけていることがある。
朝はどれだけ早くてもいいが、終わりは午後三時をめど帰宅の準備をしている。

熊野神社に到着したとき、手元の時計は午後五時を示していた。
夏なので日が長く明るかったからよかったものだ。
薄暗い状態で神社にいると、目的が古社巡礼という崇高なものであったとしても、賽銭泥棒と勘違いされる可能性が一段と高まる。
午後三時に終わらせるのは体力的に無理をしないようにすることと同時に、賽銭泥棒に間違えられるのを防ぐためでもあるのだ。
過去には午前中に間違えられたこともあるけど...

両台橋で安曇川を渡り上古賀の集落に入ると獣害を避けるためのフェンスがあちこちに張られていた。
もちろん熊野神社も例外ではない。
縛ってある鎖を解き、FATBIKEごとフェンスのなかに入れた。
鳥居の前の常夜灯にFATBIKEを立てかけて境内まで歩く。

七月末とはいえ境内のある辺りは都会よりも気温が低い。
しかも参道を歩きながら耳にするのはヒグラシの鳴き声。
どことなく夏の終わりを感じて物悲しさが身にしみる。
拝殿まで210歩。
山の水と思われる冷たい水が手水舍に注がれている。
すぐ近くの小川は音を立てて流れていく。
水が清らかなので、獣害さえなければ神社が鎮座する最適な場所である。

境内はかなり広い。
本殿に向かって左側には連なった社殿がまつられている。
相当に古い造りである。
対する本拝殿は平成三十年四月竣工というから、木々生い茂る古社に新鮮な風が吹きこまれたように鎮座している。

拝殿に腰掛けながら樹高の高い木々が境内を囲む風景を眺めた。
ここ熊野神社が近江国の古社巡礼、最後の神社となった。

写真は滋賀県高島市。

190729熊野神社2

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・小野神社。

190729小野神社市杵島3

近江国、即ち滋賀県は名古屋からすれば隣々県だから、滋賀県自体に行くことはそれほど遠くはない。
名古屋から米原行きのJR東海道線に乗り関ヶ原を越えるとそこは近江である。
思った以上に近いので近江の式内社なんてあっという間に回れるさ、とついつい油断をしてしまった。
そこに立ちはだかるのが滋賀県でも名古屋から行きにくい高嶋郡の神社。

小野神社の論社である市杵島姫神社は、最寄りの安曇川駅から21km。
松江に「プチ移住」する五日前の五月二日、大学時代からの友人と自転車に乗り鯖寿しを食べに行った。
鯖寿しを商うお店自体は大津市だったが、お店までは高島市朽木を経由する。
ついでなので小野神社と大野神社の論社である市杵島姫神社に立ち寄った。
僕のFATBIKEと友人のロードバイクを重ねて写真を撮ったまではよかった。
しかし当日のメーンはあくまでも鯖寿し。
古社巡礼の事前準備を怠ったため市杵島神社がまつられる岩上の境内を撮りはしたものの、小野神社がまつられるとされる末社は写さず終いだった。

二度目の朽木は大川神社を訪れた帰り道だった。
二ヶ月前に訪れた市杵島神社の境内。
露出した岩の上には市杵島姫神社を中心に大川神社、大野神社がまつられている。
境内はそこだけではなく、鳥居の外側にもあり、小さな流れの対岸、鬱蒼とした木に覆われた小さな祠がまつられていた。
近寄って手を合わせる。
末社という体裁のようだが見たところ、現在までも祭祀が行われているのかよく分からない。
「式内社調査報告」に掲載されている小野神社の写真はこの小祠を写したもののようだ。

正直なところ、ここまでやってきた時点で自分の体の方が心配だった。
当日、FATBIKEで100km近くを走ったはずだ。
先に大川神社を訪ねたあとでの市杵島神社。
到着したころには尻は下着と擦れて痛いし、身体中に筋肉痛のような痛みが出て、歩くとフラフラする。
神社を訪ねるという目的ひとつでここまで走った自分を褒めてあげたい。

写真は滋賀県高島市。

190729小野神社市杵島2

【FATBIKE古社巡礼!】近江國高嶋郡・大川神社。

190729大川神社大宮1

大宮神社の鳥居をくぐり境内に入ると樹高の高い木々が拝殿や本殿を取り囲むように立ち並んでいた。

車の音もほとんど聞こえない境内でゆいいつ耳に届くのは手水舍に注がれる水の音。
その隣には小さな池があり清らかな水で満たされていた。
なかをのぞくと、いたいた、池の底や岩陰にはイモリの姿が。
外にはい出ようとするものもいたので、カメラをマクロモードにしてぐっと近づけて撮ってみた。
物怖じせずじっとしており、よく見るとかわいい。
イモリが生息するのは水がきれいな証拠である。

以前にも神社の池のなかでイモリを目にしたことがあった。
若狭国一宮である若狭彦神社の境内だった。
雰囲気を漢字で表すと静、閑、清。
大宮神社はどことなく若狭彦神社に似ている。
直感でそう思ったが、あながち的外れなことではなさそうだ。

大宮神社の次に向かった同社の旧社地で、近くに住むおじいさんはこんなことをいっていた。

「この辺は近江よりも若狭の影響を受けてます。駅も湖西線より小浜線の駅の方が距離が近いしな」

高島市朽木。
大学サイクリング部時代、この辺りを走ったときはまだ朽木村だったから、僕のなかでは村のイメージのままだ。
それにしても遠いところだ。
JR湖西線安曇川駅からペダルを漕ぐこと二時間半。
漕ぐたびに深い山のなかに入っていく。
上り坂ばかりで辟易だったけど、冷たい水が湧いていたり、猿の群れに出会ったりしてそれはそれで楽しいサイクリングだった。

ようやく到着した大宮神社の入口にFATBIKEをとめ、鳥居をくぐり拝殿を回り込んで本殿まで96歩。
標柱には日吉神社、鳥居の扁額には大宮神社とあるけど、目的の大川神社は本殿右隣に他の神社とともにまつられていた。

「式内社調査報告」によれば大川神社の論社とされるのはマキノの唐崎神社と朽木の大川神社旧社地の二社。
しかし朽木には旧社地だけでなく大宮神社境内にも摂社として大川神社がまつられている。
社が二つ存在するのは単に新旧の差なのだろうか。

同書の地図には唐崎神社と対比させる形で旧社地の方に所在印を打ってはいるが、大宮神社にも丸印が打たれていて論社と匂わせるような記述がある。
はたまた大野神社や小野神社の論社である市杵島姫神社境内の大川神社についても論社を匂わせて説明しているので、一体どこがどこやらと頭がこんがらがってしまう。

写真は滋賀県高島市。

190729大川神社大宮5

【FATBIKE古社巡礼!】出雲國意宇郡・野城神社。

190518能義神社野城神社1

野城神社に比定されている能義神社。
最寄り駅であるJR荒島駅を降り立ち駅前で輪行してきたFATBIKEを組み立てた。
日曜日なので時折部活に行く中高生を見かける程度、駅にひとの姿はまばらだった。

ちょうど午前八時を迎えたころだったと思う。
「おはようございます」

駅前広場を掃除していた初老のおじさんがあいさつとともに声をかけてきた。
「これすごいね、自転車?」
「はい、これでこの界隈にある神社を走ろうと思いまして」

ひっくり返したフレームにタイヤをはめながらそう答えた。
古い神社と古墳に関心があることも言添えて。

するとおじさん、駅に併設されている「ふれあい館」のなかに入るなり置いてあった冊子を持ってきてくれた。
「荒島は古墳の宝庫だよ」

手渡されたのはその名も「荒島はすごい 親子で古代史の宝庫 荒島を歩く」という遺跡観光地図。
地図を広げると荒島駅の南側一体に古墳が分布しているのが詳しく描かれている。
それも結構密だから歩きがいがありそうだ。

地図上には「造山古墳群」「塩津山墳墓群」「安養寺墳墓郡」「宮山墳墓群」「仲仙寺墳墓群」と一古墳群、四墳墓群がある。
古墳群と墳墓郡の違いがよく分からないけど、古墳ではなく「墳墓」であることがミソじゃないだろうか。
各墳墓群には方墳や前方後方墳に混じって墳墓群の主役であろう「四隅突出型墳丘墓」がそれぞれ存在している。

四隅突出型墳丘墓とは出雲地方を初め日本海側に分布する弥生時代後期の墓で、方墳の四隅がべろーんと飛び出していることからその名がつけられた。
コタツに布団をかけたようでもあるし、ヒトデの姿にも似ている。
現在でも数多く残されているそうだが、一度も目にすることなく島根県を去ってしまったことが僕にとってゆいいつの心残りである。

能義神社は小高い丘の上に鎮座していた。
飯梨川の堤防上からは川に沿って広がる大きな森が一目瞭然である。
丘に沿ってぐるっと一周すると入り口に社名が書かれた案内板が立てられていた。

鳥居をくぐり石段を上がる。
随神門の向こう側には、拝殿を中心として京都の下鴨神社で見たような砂の小山が左右に二つ築かれていた。
拝殿までは90歩、まずは参拝。

当社は熊野大神、所造天下大神(杵築大社、現出雲大社)、佐太大神とともに「出雲四大神」といわれるだけあり、大社造の本殿は大きくて貫禄十分である。
現在の本殿について、旧社地にあった本殿は焼失してしまったため慶長18年、堀尾氏によって現在置に再建された。
祭神は天穂日命。
国造家の祖神ということもあり、国造家の代替わりの際には当社にも参拝するという。

写真は島根県安来市。

190518能義神社野城神社3
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
管理人紹介
1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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