名古屋発! 町の神さま考

日本の森、モリのニッポン紀行

コラム・エッセイ

【旅の空から】焚き火の楽しみ〈その三〉

僕が子どものころだからかれこれ四十年ほど前のことだ。
当時の我が家には家の建物と車庫の間に空間があり、そこに家庭用の焼却炉があった。
物心ついたときには熱でボロボロになっていたけど、円筒形の上部のフタを開けるたびに真っ黒になった燃えかすが入っていたようなおぼろげな記憶がある。

時代は流れ、名古屋市内に残る屋根神さまの祭祀風景を写真に撮っていたときだから十年ほど前の話。
毎月一、十五日に行われる月次祭の片つけでは本来、神前でかがり火を焚く。
写真を撮り始めた2000年当時、例祭や氏神さまの祭礼日だけ焚くケースは比較的残っていたけど月次祭でやる町内はかなり少なくなっていた。
道端にかがり火のカゴを出して火を焚く光景は僕も何度か目にしたことがあるが、古い町並みと相まって風情を感じる一幕だった。

しかし現在、名古屋では家庭での焼却も祭礼時のおかがりもできなくなった。
消防関係の条例によるものだと聞いたことがある。
屋根神さまのおかがり以外で火を焚く光景は大きな神社境内で目にするくらい。
それを悲しいとか寂しいとかいう感情とは関係なく、火を焚くという行為が日常から消えていった。
町場で日常生活を営む上で火は台所のガスコンロをつけるだけで事足りるのが現代の我々の生活である。

今日も朝起きてから穴を掘っただけのコンロで火を焚いた。
三日目ということもありナイフを使って着火する方法も上達。
お昼にはアルミホイルを敷いたアミの上にシイタケを載せた。
特大サイズのシイタケも熱が加わると次第にしぼんでいき軟らかくなる。
醤油をかけてかじりついた。
すでに冷蔵庫からビールがなくなっていたのが残念だった。

炎の揺らぎに法則性や規則性はなく、風が吹いたり枝を加えれば炎は大きくなるし、あらかた燃えてしまえば炎は収まり火勢は小さくなるが消えることなく、丸太の端に小さくとどまり再び大きく燃えるチャンスをうかがっているようにも見える。
トングで木の場所を移動したり、ときに小枝や木っ端を加えたり、僕も火の前では何かと忙しい。
無駄な動きが多いかもしれない。
それでも火の近くにいられるのが楽しい。

都会の暮らしでは触れられない火を扱う時間を存分に経験できることは貴重である。
山の空気やおいしい水、信州のおいしい食材に癒やされ、名古屋に帰宅してから大いにがんばれるぞ、と昔ならそう思っていただろう。

でもコロナ禍のいま、それが人間にとってどれだけ大切なことか。
逆に自然から離れて山荘での暮らしを思い焦がれる日々に耐えられるかどうか。
町での暮らしがどれほど自然とかけ離れたものかを思い知らされるのだろう。
同時に数日間という短い滞在だったけど父が残してくれた山荘のありがたみを十分に感じるだろう。

【旅の空から】焚き火の楽しみ〈その1〉

梱包用の麻紐の先をナイフでばらして綿状にし、マグネシウムの粉をまぶす。
火打ち石の要領でマグネシウム棒にあてたナイフの背を素早く下ろすと火花が散り、綿状の麻紐に着火。

弱い火が着いたら丸めた新聞紙に火を移し、細切れにした乾いた木を火が消えないようにくべていく。
木に火が燃え移ったところで、あらかじめ拾っておいて三十センチほどに加工した枯れ枝をその周りに立てかける。
少し湿ってはいたけど直火の近くにくべれば水気が飛び、しばらくするとその枝にも火が燃え移る。
そうすればもう大丈夫。
ちょっとやそっとでは火は消えない。

火口を何度も起こして新聞につけたものの、その先がなかなかうまくいかなかった。
火が消えるたびに戦略を変えて挑戦すること数度、ようやく地面に掘った穴に勢いよく火柱が立った。

長野県南部のとある山中。
父がいたころには年に数回やって来た山荘は、父が亡くなり車のないいまとなっては来るのにとても難儀な場所にある。
名古屋からは高速バスに乗り山荘最寄りの停留所へ。
到着後は近くのスーパーで滞在日数分の食材を買い込む。
父がいたときは毎日のように買い物に出ていたけど、車なき現在、そんなことはできない。
だからまとめて買い込むのだ。
もちろんお酒も。

山荘まではタクシーで行く、時間にして二十分ほど。
歩きでも行けなくはないが、山中にあるから山荘なわけで町場からは一時間以上。
もちろんずっと上り坂、しかも道の両端は木々で覆われているので、明るい時間帯は歩けなくはないが、夕方近くなるとひと通りがない道は途端に寂しくなる。
暗くなったあとでは正直怖い。

でも、そこまでして難儀な場所に行くのは都会にない豊かな自然に身をおけること。
小学生のときから来ているので環境にも慣れているし、何より都会では経験することができない「火」を間近に触れることが大きな魅力なのだ。

【旅の空から】二年目の「出雲記念日」...

今日五月七日は僕の「出雲記念日」。

仕事を休職中、松江市内のマンスリーマンションを借りてひと月間「プチ移住」、そこを拠点に出雲国の式内社を巡った。

2019年の五月七日、新幹線と在来線を乗り継いで名古屋から松江に向かった。
だから今日、五月七日は二年目の「出雲記念日」なのだ。

ひと月限定で他郷で暮らすという新しい試みに緊張していたのは、自宅を出発する直前までトイレに籠もっていたことからも分かる。
電車内でも普段読むはずの本を読まず、ずっと車窓から外の景色を眺めていた。
何を考えていたのか、いまでは思い出せないけど。

午前七時二十九分発のぞみ99号で岡山へ。
岡山からは伯備線と山陰本線を乗り継ぎ、松江到着は午後二時半過ぎだった。
このブログ原稿を書いている現在時刻は二時四十分だから、まさにいまごろだ。

地図を見るとマンションは駅近く。
輪行を解かずにそのまま歩いて行った。
窓を開けて部屋の空気を入れ換えてから自転車を組み立てた。
記念に室内で撮ったスマホの写真には三時七分と記録されている。
テーブルの上にはカメラやモバイルバッテリーのほか生活費を入れた封筒が並んでいる。
休憩のあと、食料品や暮らしの必需品を買いに出かけた。

家計簿アプリでその日の支出を検索すると一覧が出てきた。

2860円 酒代@李白酒造
3098円 食料品@イオン松江SC
1431円 米代@藤本米穀店
871円 食料品@みしま雜賀店
105円 コーヒースプーン@イオン
432円 生活雑貨@ダイソーイオン松江SC店

買い物後の写真には醤油、味噌、ふりかけが写っている。
ご飯を炊き、早速シジミ汁を作った記憶がある。
おかずに何を食べたか覚えていないけど、確か魚だったような気がする。

松江での生活は翌月六月七日まで続いた。
そのまま名古屋には戻らず隠岐の島を目指した。
名古屋には十一日に帰宅。

七月に休職期間が明けた。
休みの間、介護の職場で一緒に働いていたヘルパーさんからSOSの電話があった。
僕がいない事務所は相当混乱してひとも辞め、電話をくれたヘルパーさんも休みなく働いており体力がもつか心配だと話していた。
でも元の職場に常勤・責任者という立場では戻るつもりはなかった。
非常勤、日・月休みということで折り合いがつき、七月から少しずつ働き始めた。
でもいろいろと思うところがあり、元の職場一か所で働くのはやめた。
時期同じくして市場での仕事を始め、翌八月からはホテルの清掃の仕事を始めた。
キツい仕事にも関わらず、二つともいまでも続いている。

僕が介護の職場に戻ってきて喜んでくれるひとがいた。

「また会えたね」

Aさんは、僕が介護の仕事を始めた翌年の2006年から支援に入っている。
年齢は僕より一歳年下。
作業所へ通っており、当時は朝の送りを週二回、帰宅支援はほぼ毎日だったから自ずと仲よくなった。

しかし障害のため体力がなく入退院を繰り返していた。
戻ってくるたびに体力は低下。
家庭での介護も限界になり、最近施設入所が決まった。
今日は通っている事業所の最後の利用日だった。
僕が所属する訪問介護事業所の帰宅支援も最後になる。

僕が最後の支援に入ったのは水曜日だった。
雨が降るなか、傘を差して帰宅した。
「また金曜日ね」
足かけ十五年、出会った当初は二人とも三十代前半だったが、いまではアラフィフのおじさん。

つい先ほど、他の利用者の送迎に訪れた事業所で、Aさんと会った。
笑顔でハイタッチ、最後のハイタッチ。

二年後の「出雲記念日」

悲しいお別れの日でもあった。

【旅の空から】感染対策はしっかりするけど…

昨日は妻の実家にお邪魔して、今日は毎週月曜日恒例の古社巡り。
二日連続のお出かけ。

首都圏と大阪圏は緊急事態宣言が出されたなかでのゴールデンウィークだ。
僕の住む愛知県はかろうじて「まん防」止まりだけど、感染者数は増え続けている。
宣言が出れば古社巡りはもちろん中止。
発令も時間の問題かもしれないから、外出にはとても気を使う。

僕の旅は目的地まで輪行で行く。
乗客の少ない始発が最近の定番。
目的地に着いてからは自転車、しかもひとり。

切符は、往復に使う近鉄株主優待券は事前に購入(自販機)。
近鉄の特急券はスマホで予約。
地下鉄やJRはICカードだから現地で有人の購入はない。

コンビニや昼食を食べる際にはなるべくQRコード決済またはクレジット払いにしている。
現金を使うのはお賽銭くらいになった。

手指消毒もこまめにしている。
最近では神社の拝殿にも消毒用アルコールが置かれるようになり、柄杓を使う手水は使えないようになった。
本来なら参拝前に手を清める手水がその役割のはずなんだけど。

自分ではしっかりと感染対策をしているつもりではある。
しかし気がつかないところで抜け落ちがあるかも知れない。
一番怖いのは、自分は大丈夫、感染しないと油断することだ。
常に緊張状態でいることは大切だけど、それはそれでとてもしんどく疲れてしまう。

二年前の五月はひと月の間、松江に逗留して出雲国の式内社を巡った。
コロナなんて関係なかったあのころが懐かしい。

【旅の空から】夏はすぐそこに…

毎週月曜日の楽しみ、今朝も古社巡りの旅に出かけた。

午前四時五十分、自宅を出発。
始発の近鉄電車に乗るため、名古屋駅に向かった。
いつものように早起きしての出発だが、玄関を出ると何かが違う。

二週間ぶりの古社巡り。
二週間前、玄関を出たとき外は全体的に真っ暗で暗かった。
視界には、夜明けに時間がかかりそうな夜中の光景が広がっていた。
しかし今朝は空に夜中の黒みはなく、夜明けの近さを感じさせる。
これまで必要だったライトをつけなくても十分に明るかった。
とはいえまだ四月。
夜明け前に吹く風は冷たく、ハンドルを握る手に手袋が必要だった。
でも風とて二週間前と比べれば冷たさのなかに冬とは違う緩さを感じる。

今日の工程は近鉄下田駅から始まり、国道168号線を北上、新王寺駅を目指すコース。
これまでの苦行を伴う旅とは一転して上り坂の少ない楽なコースだった。
新王寺駅到着は午後十二時過ぎ、そして駅前で買い物して近鉄に乗ったのは一時過ぎ。
いつもならまだ走っている時間だ。
だから今日はお疲れ様の意味で乗る特急には乗らず行き同様、追加料金のいらない急行を利用。
こうして浮いたお金を次回の古社巡りのために積み立てておくのだ。

夜明けの早さに夏を感じた。
苦手な寒さとおさらばできる半面、降り注ぐ太陽と汗、まとわりつく蚊の大群に悩まされるんだろうと思うと、夏っていいことだけじゃないな、と思うのだ。

【くらしの窓から】チェアリング。

「チェアリング」という言葉を最近知った。
英語のイス「chair」に現在進行形の「ing」をくっつけた言葉(だと思う)。
アウトドア用の携帯イスを公園などの外に持ち出して使うことらしい。
知らぬ間にそんな概念が生まれたみたいだけど、我が家では「チェアリング」という言葉を知る前からやっていた。
僕らはイスを持って公園に行き、そこでご飯を食べたりのんびりすること、と勝手に定義している。

昨年のクリスマス。
妻へヘリノックスの折りたたみチェアをプレゼントしたついでに、自分用にも購入。
初めて使ったのは我が家から歩いて三十分ほどの公園。
晴れているとはいえ二月。
近くのスーパーで弁当とドリンクを買って公園へ。
早速、イスとともに小さなテーブルを組み立てて開始。

二月の風は強いだけでなく、さすがに冷たい。
じっと留まるわけにいかず、弁当を食べてドリンクを飲み、つまみを食べてそそくさと退散した。
以来、晴れた日曜日には毎週のようにイスを持って出かけるものの、風や雨にやられて満足のいくチェアリングには及ばなかった。

妻と二人だけでなく、僕ひとりでもやっている。
なぜかひとりでやるときの方が天気に恵まれる。

今日、月曜日は通常、古社巡礼に出かける予定なのだけど、先週までの三週間連続で出かけているので休憩。
朝から張り切って家事をこなし、午前九時、イスと本を数冊を持って出かけた。
だがいきなりチェアリングとはいかず、間合いを取るためスタバで休憩。
コーヒーを飲みながら持参した本を読み一時間ほど過ごしてからチェアリングの準備に取りかかる。
賛否あるだろうが、弁当とともにちょっと飲みたい。
酒を調達して公園の木陰でイスを組み立てた。

時間はお昼どき。
月曜日だけあって人影はまばら。
近くのベンチではおじいさんがハーモニカを吹いていた。
コップに注いだお酒をちびりちびりとやりながらスーパーで買った弁当を食べる。
サクラの季節は過ぎたものの新緑がまぶしい。
食べ終わると持参した本のなかから一冊を取り出して読む。
時折、吹く風は肌寒いので木陰から日向に移動したが、それほど暑さを感じず本も読めるので、太陽とともに数回移動。

家だといろんなことが目について集中力が途切れやすいが、公園では案外本が読める。
スマホもあるがWi-Fiにつないでいないので使わない。

母宅に寄るため十五時には切り上げたが、二時間くらいのんびり過ごせた。
腹も満たされ本も読めたから、満足のいくチェアリングだったと思う。

じつは昨日も夫婦で出かけたが途中、雨に降られてバスで帰宅。
家で本を読んで過ごした。
それはそれで楽しいのだけど物足りなさもあった。
歩いて数分の公園とはいえアウトドアとインドアでは感じるものが違う。

コロナ禍で大々的に出かけることが難しいいま、近くの公園で過ごす「チェアリング」が一週間を忙しく働く僕たちにとり、ちょうどよい息抜きになっている。

【旅の空から】音声より手書きがラク。

昨年の大晦日、一年をしめくくる古社巡礼だったのだが、いままで味わったことのない奈良の底冷えに苦しめられた。
冬だから当たり前だけど、とにかく寒い。
指先が冷え過ぎて血色が失われ感覚がなくなる。
そんな状態で神社を訪れても、あとでブログ原稿を書くためのヒントになるメモが書けない。
寒くて寒くてベンが握れないのだ。

ちょうどそのころ、手にした野口悠紀雄著「書くことについて」を興味深く読んだ。
そこで披歴されたのは音声入力。
スマホにマイクを通して音声で入力するというもの。
入力先はGoogleドキュメント。
これなら寒くてもペンを持たなくてもよく、入力した文章はパソコンと同期される。

スマホを持ちながらマイクに向かって喋るくらい何てこともない。
マイクとスマホを固定しておくVlog用のフレームを購入して年初の旅で試すことにした。
Googleドキュメントを立ち上げ、入力キーボードのマイクマークを押す。
フレームに取りつけた外部マイクに向かって由緒に書かれた文章を読み上げ、境内の印象などを喋って入力する。
じゃっかんのタイムラグはあるもののスクリーンに文字が現れる。
気にせずどんどん入れていくとスマホの画面は文字で埋められていく。
すごい、さすが最新テクノロジーだと感心することしきり。

結局いつも通りノートを持っていったものの書かずに終わった。
話し言葉の入力はメモするよりも楽ちん。
もう音声入力でいいじゃん、そう思った。

しかし、である。
実際にブログ原稿を書く前に音声入力して保存しておいた内容を見ると、それはひどいの一言。
内容を読んでみてもまったく意味が通じない。
英語ならこうもひどくないのかもしれないけど、日本語はとにかくひどい。
僕は神社巡りで使っているから、本殿を本田、境内を兄弟くらいならまだ許せる。
だけど、拝殿を排便、には流石に頭にきた。
こういった間違いが本当に多いから腹が立つ。
結果、毎回イライラしながらのリライトをへて、ブログを書くのだが正直、この作業が嫌になる。

そんなことから今日、久しぶりにノートにメモをした。
ひとが近くにいてスマホに向かって話しかけるのがはばかられたというのもある。
でもなんだろう、この解放感。
考えながら一文字ずつノートをうめていく。
一社に一ページというのはいままで通り。
四月とはいえペンを持つ手が冷たくなることがあるから油断ならないが、それでも今日は気温が高く温かったから書くのが楽な一日だった。
五社中、一件以外はメモ書きである。
それでも問題はない、いやむしろメモ書きの方が、楽である。

【旅の空から】伊勢・大和・伊賀混在の旅。

松阪始発の名松線に乗り換えた。
午前七時三十二分発。
初めて乗る電車なので万が一にも混んで自転車を載せられないといけない。
余裕をもってここ最近の定番、名古屋から始発の近鉄急行に乗り松阪に向かった。
しかし名松線の車内には春休みのこの時期、通学の学生はいない。
部活動と見られる学生が乗ってはいたけど満員混雑とまではいかず、自転車も問題なく載せられた。
とにかくひと安心。

家城で乗り換え終点の伊勢奥津へ。
ここまで乗っていたのはわずか二人。
もうひとりは青春18きっぷの旅人だった。

駅前で自転車を組み立てて出発。
当日の古社巡りは大和国、つまり奈良県。
宇陀の山間に鎮座する御杖神社は奈良県内の近鉄駅よりも三重県内の伊勢奥津駅からの方が近い。
出発早々、国を跨いだ。

大和国宇陀郡の式内社巡りは残り三社になったものの一向に進まなかったのはひとえに三社の所在地が山間部だから。
神社を一ヶ所訪ねるには猛烈なアップダウンを経なくてはいけない。
変速のないシングルスピードなので、一日を通して自転車に乗っているより降りて押し歩く時間が長かった気がする。
しかも午前中、道路端の気温計は五度を表示していた。
風が冷たく指先は冷え切って感覚がなくなった。
毎度の準備不足もあるが、根本的に僕の古社巡礼は苦行なのだ。

御杖から曽爾、そして室生へ。
室生龍穴神社を参り、室生トンネルを抜けた。
勢いに任せて東へ走るといつしか奈良から三重に入っていた。

名張まで走り駅前で輪行。
大和国の神社巡り、しかし出入口は三重。
奈良の御杖神社の前に名張川が流れ、名張に入ると宇陀川を渡った。

伊勢・大和・伊賀混在の旅。

【旅の空から】神社を回り続ければ猯廊瓩鯑世蕕譴襪?

古社巡りに出かけるのは二週間ぶり。
今朝も午前四時四十分に自宅を出発して名古屋駅へ。
始発の近鉄急行に乗り奈良を目指した。

目的地にもよるけど名古屋から奈良までは三時間半はみておいた方がよい。
そこから七時間ほど自転車で走りながら式内社を巡る。
今日は大和国葛上郡の神社を回った。

ここ最近の古社巡りを一言でいえば「苦行」。
変速機がついてない我がFATBIKEでは歯が立たない坂道の連続。
前回は栄養不足でハンガーノック直前だった。
その反省から事前に食料を用意すればいいものを用意せず。
コンビニで食料にありついたのは出発から四時間後。
おにぎり二個とねり羊羹を摂取してハンガーノックは免れたが、苦行のような旅を続ける意味ってなんだろうと思うことしきりだ。

訪れる神社が鎮座するのは平地よりも山が多い。
漕げるところまでは漕ぐけど、ギブアップしたら押して歩くしかない。
走っているよりも押し歩きが多いと感じるときもある。

自転車で向かう道中はたしかに辛い。
しかしたどり着いた先は神社という聖地。
水清く境内を囲む緑の木々。
空気は普段生活している我が家周辺とは比べものにならないくらい澄んでいる。

一週間に一度とはいえ続けているとそのうち霊的な力を得たりすることはあるのだろうかと自転車を押しながら考えた。
でも僕がやってていることは、やろうと思えばだれでも出来ることでもある。
だからいまだ、特別な力を得ることなく俗世をさまよい続けているのだが。

【旅の空から】服装に困る季節...

三月も半ばともなれば二月下旬や三月上旬に比べ気温が上がり、日当たりのよい場所なら桜も咲き始め、少しずつ春の訪れを感じられるようになる。
快晴なら風が多少強くても真冬のように寒さが肌を刺すこともない。
ポカポカ陽気でペダリングを続けているとかなりの汗をかく。
今日の古社巡りは大和国宇陀郡の式内社を回った。
前回の続きである。

自転車での古社巡りをするまで奈良といえば奈良市や橿原神宮辺りの古い街並みしか頭になかった。
しかも古社巡りを始めて間もないころは平地に鎮座する神社が多かったから、ラクなサイクリングを楽しんでいた。
しかし、宇陀郡の神社は結構な確率で山上か山中、麓にしても集落より高台に位置する。
道中はアップダウンやダラダラ坂が多く、タイヤが太く変速のない自転車にとってはまさに苦行。

てなわけで汗をたっぷりかいた。
だから薄手の格好でちょうどよかったのだがそれは結果論。
朝のうちは冬と変わらない。

午前四時四十五分に自宅を出発。
名古屋駅まで自走して始発の近鉄急行に乗る。
その時間の外は寒く走っても体は温まらない。
しかも始発電車は車内が温まっていないのでしばらくは寒い状態が続く。
体が温まったころに乗り換えしてしばらく暖かい電車旅。

しかし奈良に到着すると一変。
榛原駅の外に出たら薄着を後悔するほど寒かった。
コンビニコーヒーで体を温めてようゆく出発。
事前に調べた宇陀市の最高気温は十五度。
自転車で走り汗をかくことを思えば薄手でいい。
だけど九時を過ぎないとなかなか気温も上がらないことがスッポリ頭から抜けていた。

幸い季節は次第に暖かくなるから、こんな経験もいまのうちだけど。
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ブログについて
FATBIKEというタイヤの太い自転車に乗って延喜式内社を訪ねる旅に出ています。屋根神さまから式内社へ。自転車に乗って神社を訪ね、写真を撮りブログを書く、そんな楽しみに浸る毎日です!
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1973年7月生まれ。以前は名古屋や愛知県の屋根神さまを探しては写真に残していたが、2015年に岡谷公二著「神社の起源と古代朝鮮」に触発されて敦賀市の式内白城神社を訪れたことから式内社に関心を持つ。現在は介護の現場で働く傍ら、各地の式内社をFATBIKEに乗って訪ねる日々を送っている。
お願い
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お知らせ
2016年8月現在、屋根神さまの残存確認は行っておらず、「市内屋根神所在地一覧」(2006年作成)に掲載されている屋根神さまのうちすでに消滅したお社もあると思われます。今のところ内容を更新する予定はありませんので、屋根神さまを訪ねる際は消滅したお社があることをご承知おきいただいた上で、「参考資料」としてご活用いただければと思います。
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