名古屋から信州・飯田に向かう国道153号線は思い出深い国道だ。
幼いころ、いつごろかはっきり記憶はないが、父の運転する車に乗って名古屋から飯田に向かった。
当時、父は飯田が好きだったのかどうか知らないが、頻繁に出かけていたことは幼心になんとなく分かっていた。
不確かな記憶だけど、父が用意したガスコンロで飯を炊きハインツの缶詰カレーを温めてカレーライスを作ったことと、僕がどこか知らないところ(おそらく飯田のどこかだろう)で小便をちびって迷惑をかけたことがいまでも思い出される。

僕が小学生低学年のころ、その飯田に小さな家が建った。
忙しい父が、名古屋の実家とは別に家族で過ごすために建てた小さな家はドングリのような形をしたカナディアンハウス。
一風変わったその家で小学生以来、年に数回は過ごした。

父が単身赴任したときは母に連れられて高速バスに乗って飯田に行き、赴任先からやって来た父と合流して数日間過ごした。
家族で東京に引っ越したときは東京から飯田までの距離を父の運転でやって来た。
東京から再び名古屋に戻ってからは家族水入らずで名古屋から飯田を往復した。
そのときに通るのは国道153号線だった。

先週に引き続き、三河国の古社巡礼に向かった。
大詰めを迎えているので残るは行きにくいところばかり。
先週、渥美半島の神社を巡ったので、今日は奥三河の古社二社を巡る旅。
名鉄三河線猿投駅で輪行したFATBIKEを組み立てた。
目指したのは153号線。
猿投グリーンロード発着点である力石を過ぎると見慣れた風景を走った。
ひと昔前までは古民家の壁にキンチョールやアースの看板が張られていて車窓から眺める僕の目を楽しませたが、いまは新しい家に建て替えられ、所々、コンビニにも恵まれている。

最初の野神社へは一時間ほどで到着。
次なる目的地の野見神社へはさらにそこから一時間をかけて走った。
登り基調で正直しんどくはあったけど、父の運転で走っていた道だから景色に見覚えがあり、緊張することなく走ることができた。
むしろペダルを漕ぎながら父のこと、そして父が建てた小さな家のことを考えた。
いまは母が相続しているけど、僕ができる範囲で管理できないか、そのために必要なのは何か...

野見神社参拝後、手元の時計はまだ午前十時半。
早めの昼食を済ませ張り切って名古屋まで走って帰ることにした。
暑い。
午後になり気温は三十五度近くまで上がった。
それでも153号線を通れば安心だ。
よみがえる父の思い出。

父が亡くなる数日前、一台の車を借りて姉夫婦とともに飯田に向かった。
往路には153号線を通った。
父にとっては体力的にしんどい旅だったろう。
蓬莱泉の吟醸工房で休憩をとった。
父をさすがだと思ったのは、普段運転席で車を操っていただけに道には詳しい。
義兄の運転する車の最後列から何かと指示を出していた。
ただ小さな家にいるときさえ、いままで見たことのないしんどさや苦痛を端で見ている僕も感じた。
決して楽な、楽しい旅ではなかった。
飯田には何不自由なく来ていた父がその飯田で苦しみながら過ごしているなんて。

一泊して復路は中央道を通って帰った。
家に着き皆がのんびりしたところで父は、飯田に行けたことを皆の前で感謝した。
一年前までは自分の運転で行けたのに点滴を伴っての飯田行き。
忸怩たる思いがあっただろう。
だけど支えさえあればなんとか行けなくもないというのが父の実感だったようだ。

「これからもどこかに行けるなら連れて行って欲しい」

弱気ともとれる言葉だけど、僕は前向きに捉えた。
点滴をつけた状況でも支えさえあれば行けなくもない。
父にとって自信になったのかもしれない。
仮にもそうであればよかった。

父はその十日後、亡くなった。
だから153号線を走ると何とかして父の思いを受継ぎたいような、そんな気持ちにかられるのだ。